「どうせ無理」から「できるまでやればできる」へ
-私が超能力者になろうと思ったわけ-
私は今から60年前に生まれました。
おきたしょうそうといいます。
私はこの記事を通じて、私の思いを共有する仲間が欲しいと思っています。
それはひょっとすると、人類や地球のために今やるべきことかもしれないと思っています。
次の言葉を読んでください。
・いきにくくなった世の中で
(生きにくく)
・いきづまることが多くなり
(息詰まる)
本来あなたが進むべきところに
・いきにくくなっているとしたら
(行き)
何かを変えるときが来ています。
この言葉が何か気になったのであれば、最後まで読んでみてください。
はじめに
私は小さいころから、誰かの役に立ちたいと思っていました。
私が何かをして、誰かが喜ぶ。
そのときの笑顔が大好きだったからです。
私には同居するおばあちゃんがいました。
よく足が痛いといっていました。
私に何ができるかを考え、足を揉んであげることを思いつきました。
足を揉んであげるととても喜んでくれました。
「気持ちええのう」
「足が楽になったわ」
その言葉を聞くととてもうれしくなりました。
もっと揉んであげようと思いました。
どうやったら、もっと気持ちよく、ラクになるのか工夫しました。
足の裏を先からかかとまで、親指で押していくと
「上手じゃね」とほめてくれました。
ふくらはぎから足首までさするように揉むと、
「足がスーッとする」といわれました。
いつしか、おばあちゃんの足を揉むのが日課になっていました。
おばあちゃんも嬉しそうだったし、喜んでくれるおばあちゃんの顔を見るのが何よりうれしかったからです。
私には今でも同居している母親がいます。
小さいころからよくいじめられていました。
今でいう毒親です。
私には兄がいました。
妹もいました。
しかし、いじめられるのはきまって私だけでした。
ある日のこと、いつものようにおばあちゃんの足の裏を揉んでいると 母親がやってきました。 私は褒められるとばかり思っていました。
しかし、母親から出た言葉は全然違っていました。
「足の裏を触るなんて、汚い!すぐやめろ!」
一瞬で私の気持ちは沈みました。
とても嫌な気持ちになりました。
おばあちゃんも残念そうな顔になりました。
このとき思いました。
自分がいいと思ってやっていることと、母親の思いは違うんだなって。
私は母親から虐待を受けて育ってきたので、いつも母親の顔色を見る子どもでした。 母親の機嫌が悪くならないように、いい子を演じてきました。
そのため、その日からおばあちゃんのマッサージはやめました。
とても残念でした。
せっかく、おばあちゃんが喜んでくれてたのに。
その母親は、私によくいう言葉がありました。
「どうせ、できゃあせん」
これは、広島弁で「どうせ無理」という意味です。
「あんたなんかにできゃあせん」と、よく言われました。
いつの間にか私は、「自分は何もできないんだ」という観念に縛られるようになりました。
母親の指図がないと何もできない子どもになりました。
それを救ってくれたのは、小学校の先生でした。
その先生は、「お母さん、この子はやればできます。可能性を否定してあげないでください。」
その言葉に私は救われた気がしました。
私はやればできるのかもしれない。
この言葉が私の心に小さな灯(ともしび)をつけてくれたのです。
そのころ、世間は超能力ブームでした。
ユリ・ゲラーが来日して、全国の子どもたちが次々とスプーンを曲げていました。 「僕にもできるんじゃないの」そう思い、スプーンを手に取り夢中でスプーン曲げの練習をしました。 でも、私は超能力者にはなれませんでした。
「どうせ無理」が沁みついていたからです。
しかし、ここを読んだ人のほとんどは、
「そんなこと言ったって超能力者になんて、誰だってなれんでしょ」
そう思っていますよね。
しかし、それから二十年余り経って出会ったんです。ある本と。
その本は「超能力から能力へ」という本でした。 有名な作家の村上龍さんと、山岸隆さんの対談本でした。
山岸さんはTDEエネルギーが突然発祥した人です。
私の住んでいる町の、本当に小さな図書館で出会った一冊の本は、運命の本になりました。
私は食い入るように読みました。
そのときの私の中には「どうせ無理」という呪縛はありませんでした。
どうせ無理という言葉の恐ろしさ
「どうせ無理」というのは、人の可能性を簡単に奪う恐ろしい言葉です。
「どうせ無理」がインストールされれば、何かやろうとする意欲がなくなります。
それを突破し何かに挑戦しようとしても、
また「どうせ無理」が邪魔をして行動がストップします。
仮にやりたいことの道を歩み始めても「どうせ無理」がやってきます。
やりたいことの道を進めば、必ず障害が発生します。壁が立ちはだかります。それを乗り越えると道は開けるのですが、そこでも「どうせ無理」が邪魔をして、成功への道をあきらめさせます。
「どうせ無理」があれば、人は何も生み出せなくなってきます。
その積み重ねが、人間にとって一番大切な自信を失わせることになります。
「どうせ無理」は恐ろしい言葉です。
でも、とっても簡単な言葉です。
これを唱えるだけで、何もしなくてもすむからです
。
自信がなくなった人は、それでも自信を求めます。
一番大事な自信がなくなれば、人間は生きていくことが出来ません。
それを補うため、いろんな方法で自信を手に入れようとします。
お金で自信を買う人も多くいます。
高級車に乗ったり、ブランド品で身を飾ったりすることがそれにあたります。
人間の中身は変わってないのに、そうした品物を手にすることで自分の価値が上がったと勘違いし、自信を得た気になります。
また、他人の物を奪うことにも繋がってきます。
自分で生み出せないから、奪うしかないのです。
これは、オレオレ詐欺が典型的なケースです。
また、弱いふりをして奪う人もいます。
同情を集め、物品をねだる人も多くいます。
自分より能力が下だと思っている人が活躍すると、自分が負けたような気がします。そうさせないため、イジメたり足を引っ張ったりします。
努力を邪魔しないといけなくなるのです。
人を見下すことで、自分が上にいると思いたいからです。
私はこうした人になりたくありません。
私が超能力者になろうと思った理由
「超能力から能力へ」を読み、私は超能力者になろうと決めました。
この世にいるほぼすべての人が、
「そんなん無理、どうせ無理」と思うことをやってみようと思ったからです。
実際にやってみました。
当たり前ですが、うまくいきませんでした。
「やっぱり無理、どうせ無理」なんだと落胆しました。
私はどん底にいたときに出会った言葉があります。
「できるまでやればできる」
私はその言葉が「どうせ無理」の対極にある言葉だと思います。
それから約30年経ちました その間、超能力者になるための研鑽を続けてきました。
その結果、今では遠隔ヒーリングでカラダやココロの調整ができるようになりました。
何にも知らない人から見たら、「超能力?!」と思うかもしれません。
しかし、これは練習すればだれでもできる能力です。
太古の昔の人は、誰でもできていた「超」能力です。
私はこの能力を使って、カラダやココロの不調を感じている多くの人を救いたいと思っています。
小さいころおばあちゃんが喜んでくれたように、多くの人の笑顔を見たいとの思いです。
しかし、それは私の本当の目的ではありません。
手段にすぎません。
本当の目的は、「どうせ無理」をなくすこと。
困難を乗り越えて超能力者となった今、それができると実感しています。
「どうせ無理」がなくなるといじめや暴力がなくなる
「どうせ無理」がなくなると、いじめや暴力がなくなります。
なぜなら、無限の可能性がある世界がやってくるからです。
どうせ無理がなくなれば、どんなことにもチャレンジできます。
どうせ無理がなくなれば、壁にぶつかっても乗り越えることができます。
どうせ無理がなくなれば、他人をうらやむ必要がなくなります。
どうせ無理がなくなれば、他人の物を奪わなくても自分で作りだせます。
メンタルブロックが奪うもの
「どうせ無理」という言葉は、まるで毒のように、私たちの心にじわじわと広がり、やがて根を張ります。
その言葉を聞くたびに、私たちは少しずつ、自分の可能性を信じる力を失っていきます。いつしか、その言葉が私たちの心の奥底に巣食い、何をするにも自信が持てなくなり、「できるはずのこと」さえも遠ざけてしまいます。
この言葉は、私たちの可能性を奪うメンタルブロックです。
メンタルブロックは、私たちが本来持っている力や可能性を封じ込めてしまうのです。
そして、私たちが本当に求める未来に到達することを妨げる最大の敵となります。
生まれてきたからには、自分の可能性を信じて前に進むことが大切です。
可能性を奪われるために生まれてきたわけではありません。
しかし、「どうせ無理」という言葉が心にあると、その一歩を踏み出す勇気を奪われます。
やりたいことがあっても、「どうせ無理だからやらない方がいい」と思い込んでしまう。挑戦する前に、すでに自分で負けを認めてしまっているのです。
私自身も、このメンタルブロックに長い間苦しみました。
何かをやろうとするたびに、「どうせ無理」という声が頭の中で響き、私の心を掴んで離しませんでした。
この言葉の呪縛が、どれだけ私の可能性を奪っていたか、今になってようやく気づきました。
その呪縛を解く鍵がありました。
それが、「できるまでやればできる」という考え方です。
「できるまでやればできる」という考え方の力
「できるまでやればできる」という言葉を聞いたとき、私の心に一筋の光が差し込みました。
この言葉には、どんなに失敗しても、どんなに時間がかかっても、挑戦し続けることで必ず結果がついてくるという信念が込められています。
私はその言葉を心の支えにして、一歩一歩進むことを決意しました。
何度も転んで、何度も泣いて、何度も「やっぱり無理かもしれない」と思いました。それでも、そのたびに「できるまでやればできる」と自分に言い聞かせ、前に進みました。
その結果、少しずつですが、自分の中で何かが変わっていくのを感じました。
小さな成功が積み重なるたびに、心の中の「どうせ無理」という声が小さくなり、「できるかもしれない」という声が少しずつ大きくなってきたのです。
メンタルブロックを越えて進むために
メンタルブロックを超えるには、まずは「できるまでやる」という覚悟を持つことです。それは決して簡単なことではありません。
しかし、それができれば、私たちは自分の可能性を広げ、無限の未来を手に入れることができるのです。
私は、「どうせ無理」という言葉を捨てることから始めました。
毎朝、鏡に向かって「できるまでやればできる」と自分に語りかけることから始めたのです。
最初は嘘のように感じました。
でも、何度も繰り返すうちに、その言葉が少しずつ私の心に染み込んでいきました。 挑戦するたびに、失敗するたびに、その言葉を思い出しました。
「できるまでやればできる」。その言葉があったからこそ、私は何度も立ち上がり、前に進むことができたのです。
新しい未来へ一歩踏み出そう
だから、どうか皆さんも、自分に向かって「できるまでやればできる」と言ってみてください。
最初は違和感があるかもしれません。
でも、それを繰り返すうちに、その言葉があなたの心に力を与えてくれるようになるでしょう。
「どうせ無理」ではなく、「できるまでやる」という覚悟を持って進んでください。
あなたの未来には、まだ見ぬ無限の可能性が待っています。
その可能性を信じて、まずは一歩踏み出しましょう。
「できるまでやればできる」 この言葉には、非常にシンプルでありながら、強力なメッセージが込められています。
それは、成功するまで諦めずに挑戦し続けることの重要性を教えてくれます。
「できるまでやる」という決意を持つことで、私たちは「どうせ無理」という思考の罠から解放されるのです。
赤ちゃんが歩き始めるとき、何度も何度も転びながらも、決して「どうせ無理」とは思いません。何度も挑戦し歩けるようになります。
この無意識のうちに「できるまでやればできる」という精神を持ち続けることが、成功への鍵なのです。
「できるまでやればできる」の力を実感するために ここで大切なのは、小さな成功体験を積み重ねることです。
大きな目標を達成するためには、まずは小さな目標を設定し、その達成感を味わうことが大切です。
小さな成功が積み重なることで、「できるかもしれない」という気持ちが生まれ、それがさらに「できる」という確信に変わっていきます。
このプロセスで重要なのは、失敗を恐れないことです。
失敗は決して終わりではなく、成功への一歩です。
何度失敗しても、それは学びの機会であり、次に進むためのステップに過ぎません。
「どうせ無理」というメンタルブロックを超えるためには、この失敗を受け入れ、学び、挑戦し続ける姿勢が必要なのです。
「できるまでやる」という信念を育てる5つの方法
1. 自分に優しくなる 自分に対して過度なプレッシャーをかけず、できる範囲で挑戦することを大切にしましょう。失敗を恐れず、小さな一歩を踏み出す勇気を持つことが大事です。
2. ポジティブな自己対話を行う 自分に対して「できる」「やってみよう」と語りかける習慣を身につけましょう。ネガティブな言葉を自分に投げかけるのをやめ、前向きな言葉で自分を励ますことで、メンタルブロックを少しずつ解除することができます。
3. 小さな成功体験を積む 小さな目標を設定し、それを達成することで自己効力感を高めましょう。小さな成功が積み重なることで、大きな挑戦にも前向きに取り組むことができるようになります。
4.成功者の経験を学ぶ 他の成功者たちの経験や言葉に触れることで、彼らもまた数多くの失敗を経験しながら、成功にたどり着いたことを知ることができます。これにより、「できるまでやる」ことの大切さを実感できるでしょう。
5. 自分のペースで進む 周囲と比較せず、自分自身のペースで進むことを大切にしましょう。自分の進む速度ややり方に自信を持つことで、「どうせ無理」というメンタルブロックを外していくことができます。 未来を切り開く力を信じて 「どうせ無理」というメンタルブロックを超えるためには、「できるまでやればできる」という強い信念を持ち続けることが大切です。
私たちは、自分自身の力を信じて一歩一歩進んでいくことで、未来に新しい可能性を切り開いていくことができるのです。
その一歩を踏み出すのは今この瞬間です。
「どうせ無理」ではなく、「やってみよう」という思いを胸に、自分自身の可能性を信じ、今すぐ行動してみてください。
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